被害者意識が強い人・劣等感が強い人は、いつも”安心できる場所”を探している。目の奥に不安感・不信感を宿しながら。

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こんにちは。

みずのこです。

今回は、『劣等感が強い人(被害者意識が強い傾向にある人)=嫌われやすい人』ということをお話ししていきたいと思います。

今日も、自身の人生経験をもとに感じたことをシェアしていきたいと思いますので、お時間がある方はお付き合いいただけましたら幸いです。

それでは、さっそくいってみましょう!

人からなぜか嫌われる人。

それは、自分のことを好きになれず、劣等感をもちながら生きている人によく見られる特徴でもあるかもしれません。

劣等感が強いと、相手の何気ない言動で心の傷がうずきやすく、つい反射的に好戦的になって相手に強くあたってしまったり、自分責め・相手責め・嫉妬心に翻弄されたりと、感情が暴れだして心を静めることが難しくなる場合があります。

その苦しい感情をなんとか抑えようと、自分の心と向き合ったり、少し冷静になれるような行動など、自分がなにかしらの努力をしようという姿勢があればいいのですが、ただ感情のままに爆発してしまうと、周囲を巻き込むことになりますので最終的に面倒くさい人として見られるようになってしまいます。

では、劣等感が強い人達がみんなマウントをとってきたり、暴力的だったり、悪口をまき散らしたりと分かりやすい言動をするのかというと、答えはNO。ですよね。

目に見える分かりやすい攻撃性はないものの、「この人といると、なにか説明がつかないけどモヤモヤとした不快な感情が残るなぁ」と感じる場合もあるかと思います。

例えば、ジーッと人を観察するような目で見てくる人を、人は本能的に不快に感じると思うんですね。

なぜか人からジーッと見られて「え?なに?」と不快な気持ちになったご経験。あなたはないでしょうか?

逆に、小さい頃とか人をジーっと見ていた時に「そんなに人をじろじろ見ちゃダメだよ。」と親から注意された経験がある方もいるかと思いますが、人はなぜ観察するように見られることを嫌うのでしょうか。

いつのもごとく、あくまでわたし自身の経験からくる分析ですが、なぜ人が人をジーっと観察をするかというと、その根っこは自分を守ためだと思うんですね。

なんとなく見るのではなく、不信感・不安感をまとった目。

すこしオドオドしているというか、大丈夫かな?というような目で人を観察するように見ている人。

こういった人は、被害者意識が強い場合が多いです。

もちろん、そうでない人もいるかもしれませんが、常に”敵”を探している印象をわたしは受けます。

被害者意識が強い人は生きてきた過程で、たくさん傷つくことがあったのでしょう。

それは他人事ではなく、まさに昔のわたし自身のことでもありました。

昔は被害者意識が強かったので、常にトラブルに見舞われていました。

被害者意識が強いと、どうしても常に”安心できる場所”みたいなものを探してしまうんですよね。

だからこそ、自分に危害を与える人物かどうか、自分より強い・弱いかどうか。上か下か。

何をもって、上とか下とかは人それぞれかと思いますが、言いかえると”見定める”とか”品定め”のようなあまり気持ちのいいものではない印象を相手に抱かせてしまいます。

「もう傷つきたくない」といった感情が強いと、自分を実力以上に強く見せようとしたり、見栄を張ったり、ウソをついてしまったり、時には”嫉妬心”が生まれて抑えられなくなる人も少なくないでしょう。

それはもう、早ければ保育園・幼稚園児からです。

さらに年を重ねると、長年の想いが目に色濃く出てくるため、目がその人の人生を現わしてくれているとでもいいましょうか。

目は心の窓と言われるように、その人の在り方が目に映し出されていると感じますし、言葉よりも目の印象が強くなったりします。

例えば、濁り目で奥がジトー、ズーンという暗い印象の人はどこか卑屈で人に”嫌味を言う”という手段で怒りを現わしたり、もの凄く怒りを溜めている人は、本人は普通にしているつもり(無意識)でも、デフォルトがどこかカッとした目で、攻撃性を感じたりします。

わたしは、運転中に対向車の人の顔をめったに見ないのですが、(なぜ見ないかというと目が合った時に無駄に嫌な気持ちになりたくないからです)人をジーっと見ている人ほど、その目がなにか暗い・重い・警戒心が溢れているような印象があるんですが、あなたはどう感じますか?

ボーっと見てくる人には、「ボーっとしているな」という印象しか受けません。

ですが、たまに不意にバチッ!と目が合ってしまった時に反射的に「うわっ!」となってしまう相手の目の共通点は、なにか不快な想いを発しているということです。

どんなにタイプのイケメンでも、品定めをされているかのようにジーッと見られると嫌悪感を感じると思います。

逆に、澄んだ目の人。目の奥に”なにもない”感じの人の目は心地良かったりします。

わたしは最近まで接客業をしていたわけですが、赤ちゃんや子どもたちを見る機会が多くありました。

赤ちゃんはだいたい人をジーッと見るものですが、目は澄んでおりそこに敵を見定めるようなものはありませんので、とにかくかわいいしかありませんでした。

同じ”ジーッと見る”行為でも、目から発しているエネルギーによって相手に与える印象が変わるんですね。

それで、じゃあ不快感を抱く印象を持った人にはどう接するのがいいかというと。

一言でいうと

”触らぬ神に祟りなし”でいいと思います。

『触らぬ神に祟りなし』には、その物事に関わりさえ持たなければ、余計な災いを招かないという意味があります。よみは、「さわらぬかみにたたりなし」。

それが転じて、『面倒になりそうなことには手出しをするな』『余計なトラブルには関わらない方が我が身のため』、という戒めの意味も含まれるようになりました。

トラブルを解決しようと仲裁に入ったものの、思わぬ形で新たな事件に発展してしまうケースも少なくありません。こういった状況を防ぐために、お節介をしようとする人を止める表現としても使用されます。

https://dime.jp/genre/1139693/さんから引用)

少し神経を使う場面があるかもしれませんが、もしそういう人を怒らせると後々あなたが精神的に辛くなる場合がありまので、ご自身を保つためにできるかぎり関わらない方が良いかと思います。

「普通」が通用しないので。

初めて相手の目を見たときの印象。

意外にあなどれません。

表面上は良いことを言っていても、目だけはごまかせないなぁと感じます。

後は、姿勢や歩き方にも性格が出るなと感じています。

自身で人のデータをとっていくのも面白いかもしれませんね。

わたしが視聴させてもらっています『湘南プレボ』さんが体癖(たいへき)についてわかりやすく説明してくれていますので、興味のある方はチェックしてみてくださいね。

ということで、今回はここまでにしたいと思います。

今日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

それでは、また次回お会いしましょう!

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