こんにちは。
みずのこです♪
今日は、こちらのお話↓
の続きになります。
わたしの実体験を織り交ぜながらお話をさせていただきますので、長めの記事になるかと思いますが、お時間のゆるすかぎりお付き合いいただけましたら幸いです。
それでは、さっそくいってみましょう
わたしは、12年間どれだけいじめられようが人を恨んだことはなかったのですが、「恨みの感情」というものを「結婚」を通して初めて経験しました。
その貴重な経験をさせてくれた人というのは、夫と義理両親でした。
4歳から生き辛さを感じ、その後中1から12年間、人や場所を変えながら引っ切り無しに”いじめられっ子”人生を過ごし、少し環境が落ち着いたと思った矢先に、今までのいじめっ子たちとはまた違う毛色のパンチのきいた人たちと、あろうことか【家族】になってしまったのです。
今までよりもさらに自分と向き合わざるを得ない「結婚」という縛られた環境に放り込まれ、自分を愛する気持ちがまだ弱かった自分との闘いのゴングが鳴り響きました。
結婚をとおして、なかなか体験できない衝撃的な言動をたくさん与えられ、今までのいじめとはまた違う深く暗い感情を12年かけて味わいました。
そのおかげで、今こうして”心”のお話しをさせていただいているので1秒も無駄な時間はなかったのですが、もうさすがにお腹いっぱいです(^^)
妊娠が発覚した段階で、夫からはDV・義理両親からは「自分たちさえよければそれでいい。あんたが我慢しとけばそれですべて丸く収まる。自分たちは何も悪くない。あんたが人間的に小さくて弱いからダメなんだ。あんたの自由は(自分たちが)全員死んでからだ。」といった数々のお言葉を何度となく浴びせられました。
そういう思考の人たちなので、忘れられないネタはたくさんあります(笑)
せっかくなので、この機会に一つだけお話しさせていただきましょうか。
ご興味ある方はどうぞ(笑)
今から7年前、義理母が67歳のある日のこと。
何かの話の流れで、
「わたしは昔からいじめっ子だったんだよ。ちなみに、ここのお義母さん(夫の祖母)もいじめっ子だったらしくてね。それで気が合って仲良くなったのよ。憎まれっ子世にはばかれだわ!わはは!」
と、タバコをプカ~っと吸いながら言われたことがありました。
さらに、嫁のわたしに対してだけならまだしも、目の前にいる孫に向かって
「あんたも、ばあちゃんと同じ”いじめっ子”になりな!」
と、純真無垢な長女を自分の仲間(味方)につけようとしていました。
その言葉を聞いた瞬間、わたしは
「(…は?)」
と、本当に開いた口がふさがらなかったです。
7年前の話ですが、今もその時の場面は忘れられないです。
きれいな子供の心を汚すような言葉を平然と…
いや、ちょっと楽しそうに言ってたんですよね。
その時、正直
「この人と気が合わなくてよかったぁ。仲良くなれんはずだわ。」
と思いました。
そして、今小6になった娘も母(わたし)と同じくその時のことをはっきり覚えていて、
「ばあちゃん意味わからない。あの時の言葉、ほんとありえない。”いじめっ子になりな”だなんて、ちっちゃいわたしに対して失礼だわ!」
と言っています(笑)
うんうん。それが自然な気持ちよね。
腹が立ってあたりまえよ。
というこで、短いですが思い出話は以上になります。
さて、話を戻しますね。
基本的に、自分の考え方・やり方をムチのように叩きつけ押し付けてくる人は【自分の言うことを素直に聞かない人】【自分とつるまない人】【自分に反対意見を言う人】にたいして、思い通りにならない分おもしろくないという感情を抱くんですね。
ひどい場合は、
『自分の意見や感情に同調しない人は、すべて敵』
となってしまいます。
こうなると精神的に異常な状態(末期)にあるので、健常者と同じ対応をしてもうまくいきません。
”うまくいかない”というのは、相手とのキャッチボールができなくてあなたが疲れてしまう。
ということです。
ですので、その相手とコミュニケーションをとらなければならない場合は、その人専用の接し方を用意しておいたほうがよいと思います。
そのためには、その人の動向をよく観察して、話もよく聞いてあげて
【この人の本音はなにで、どのような励まし、助けを求めているのか】
を知ることが大事かと思います。
本人の頭の中は、かたくなに「同調してもらえない=自分への批判」という回路になってしまっているので、いかに自分が優れているかを執拗に語ってきますし、知らしめようとしてきます。
それが、『自慢話』や『マウンティング』という行いですね。
その他は、
自分のことをもち上げてくれる人だけをひいきしてみたり、他の人をもちあげることによってあなたの価値を落とそうとしてみたり、裏で自分の良いようにあることないこと言いふらして味方を増やして安心しようとしたりとやり方はいろいろあるでしょうが、その人たちは生きることに必死なので、自分を守るためにはなんでもします。
そうでもしないと、自分が消えてなくなってしまいそうで怖くていられないのです。
「自分が気分よくいられるためなら手段を選ばない」
「自分を守るためなら攻撃も必須。やられる前にやってやろう」
「自分に恥をかかせたらただじゃおかない」
これは全部、心理的に『自信がないからこそ起こる発想』です。
その人たちは、生まれてから今までどれほど心を傷つけてきたのでしょうか。
毎日心の安定もなく、平穏な生活とはかけ離れ人も離れ、自分のことを「すごい人間なんだぞ。」とわざわざ周りに言わなければいけない人生なんて、なんて”不自由”なんでしょうね。
しかし、自分を不自由にしているのは自分です。
本当は、自分の首を自分で締め「苦しいよ~」と言いながら、ずっと同じところをグルグル回っているだけなのです。
傍から見れば、それはとても滑稽(こっけい)な姿に映ることもありますよね。
自分がその苦しみから抜け出したいのであれば、”まずその首を絞めている自分の手”に気づき、力を緩めなければなりません。
そもそも、生きることに力を入れ過ぎているのですよね。
「死にたくない!!」
と。
でもね、すごく当たり前のことですがいつかみんな死ぬんですよね。
なので、
「どうせいつかは死ぬんだから笑って過ごそ~。ゆるくいこう~。」
という話なのです。
自分が自分にたいして何をしてしまっているのか。
それに気づくことが「その人の大事な課題」です。
目をギュッとつむって、都合のわるいことは意地でも見ない。
何年気づかないふりをしても、いくら自分の心をごまかしていても宇宙に”ウソ”はつけません。
宇宙は”愛”そのものですので、本来の姿で生きない限り”良薬口に苦し”ということわざがあるように、良薬を与えられます。
まさしく”その時は苦いかもしれないけれど、本来の力を取り戻すためのサポート”として、本人が気づくまで苦い体験を与えられます。
それでもわからない時は、ひどければ「手術」を受けなければなりません。
わたし自身も、何回も手術を受け、長い間良薬をいただきっぱなしでした(笑)
一瞬うまく逃げられたとしても、しっかり”それ”と向き合わない限り、永遠にまた違う方向から同じ課題がやってくるのが”この世の仕組み”。
なので、自分に自信がなく人を攻撃してしまう人には、これから時間をかけてたしかな本当の自信をつけていただきたいですね。
さて、ここからはお話しの毛色がすこし変わりますが…
もしも今、あなたの周りにこういう自信がない人がいて困っているとしたら、あくまで「ひとつのご提案」ではありますが、こういう接し方はいかがでしょうか?
それは、あなたに”よゆう”がある時はすこし優しくしてあげるとか、相手がどんな態度をとってきてもいつも変わらない態度でいてあげるとか、あなたにとって無理のない愛を与え続けてあげるという方法です。
これは、徳を積む【因果応報】となりますので、あるタイミングがくるとあなたが喜びを受け取ることになります。
その時は、与えてばっかりで損をしているように感じてしまうこともあるかもしれません。
ですが『損して徳取れ』という考え方もあるように、先人の教えは宇宙の叡智(えいち)と繋がっており本物ですので、やってみる価値はあると思うのです。
あの人に振り回されず愛を持って冷静に対応し続けていると、ある時その”愛”を、あの人は深い部分(魂)でちゃんと受け取ります。
そしてあの人は、いつものあの人ではなくなります。
それは、自信のないあの人の内側で、静かにゆっくりと「自分をちゃんと愛そう」と、小さいかもしれないけれど”一歩をふみだす勇気”が生まれた合図である場合もあるでしょう。
ずっと冷たくてかたくなだった”氷の心”が、やっと溶け始めた合図であるかもしれませんね。
その時、その人の”安心した本当に嬉しそうな表情”をはじめて見て、あなたはびっくりするかもしれません。
「この人、こんな風に笑うんだぁ。なんか…よかった。」
と、”相手の心に灯がともっていること”を感じ、あなたの心も満たされるかもしれません。
それによって、困ったあの人に対して困らなくなったり、なぜか自然な形でお別れがきたり、仲良くなることはなくてもその人を認めることで気持が楽になったりと、なにかしらの”望んでいた現象”が起きてくることもあるでしょう。
ただ、その相手との距離感はとても大事ですので、あくまで今の関係に納得がいっておらず、改善点を見出したいというお気持ちがある場合のみ、いろいろ模索してみると新しい視点が生まれるかもしれません。
『人事を尽くして天命をまつ』
の意識で、あなたが心から納得できることをやりきった後は天におまかせしつつ【利己的な人】からは、あなたが決めればいつだって清く「さようなら」ができるという意思をもっておくといいですよ。
今まで通りの距離感でいるかいないかは、相手が決めるのではなく、あなたが決めるのです。
あなたの幸せのためには、あなたが決めなければいけないのです。
「調和」は確かに大切ですが、それは場合・場面によりけりです。
その行動を起こした時点では不調和が生まれる”ということはよくあります。
ですが、結果的に調和できればそれでいいのですよ。
ということで、話が長くなりましたので今日はここまでにさせていただきますね。
次回は、
わたし自身が、【望まない環境を動かす】方法として自然にしていた”たった一つのこと”をテーマにお話をさせていただきたいと思います。
今日も、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました♪
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コメント
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