こんにちは。
みずのこです。
今日は、前回のお話しの続きをしていきたいと思います。
(まだ読んでいない方はコチラから↓)
今日も、お時間の許す限りお付き合いいただけましたら幸いです。
それではさっそくいってみましょう!

”同じ傷をもつ者同士が引き合う”
一見するとネガティブな印象もありますが、もしもそれがお互いの癒しのために用意されていた出会いだったとすればどうでしょうか。
それが約束されているとすれば…
わたしは今回のことで、中学二年の時に無視されていた時の記憶が蘇ってきました。
蘇ってきたといっても、たまに思い出す程度の記憶ですので、ショックすぎて覚えていないものではなく、しっかりと嫌な思い出として残っているものです。
もっというと、小学生から。
いえ、元を辿ると母です。
無視された時の、胸が苦しくなる感覚がまだしっかりと体に残っていたのです。
見て見ないふりをしていたわけでもなく、その体感がまだ拭えていないところまでは実感していましたが、その体感をどう扱い癒していけばよいかが分からなかったので、そのままにしていたんですね。
でも、時間の流れに身を委ねることで解決し幸せに繋がることはなさそう。
早くこの傷を癒して、なにも感じなくなればいいのにな。
そうすれば、楽になるのにな。
という風に思っていたんですね。
”心の傷が癒えていく”
それはきっと、誰もが求めている本当の癒しだと思うのです。
時には、時間が解決してくれることもあるでしょう。
でも、時間が経つにつれてひどくなる傷もあると思うのです。
『身体はトラウマを記憶するー脳・心・体のつながりと回復のための手法 』という本がありますが、本当に身体には全ての記憶があるのだなぁと感じます。

トラウマを思い出すような出来事に直面した瞬間、胸がバグッとする感覚。
嫌な体験を思い出したときに、全身がザワザワとして足の力が抜ける感覚。
そんな経験、あなたもあるのではないでしょうか。
ここで一旦、自身の話に戻りますが、わたしの頭の中では「もう二度とあんな体験したくない。」と完全否定していても、『身体』は全く違っていたのですね。
わたしの思考がどれだけ泣き叫び「嫌だー!」と言おうが、”心=身体”は楽になりたかった。
”身体はトラウマを記憶する”ということはですよ。
「心ってどこにあるの?」と聞かれたら、その答えは「頭のてっぺんから足の爪の先まで」でいいんじゃないかと思うんですね。
それは例えば、ストレスが溜まると胃腸・腎臓の病気になり、女性性を愛してあげられないと子宮が悲しみ婦人系の病気になり、甘えたい欲求が強い人が甘いものを食べることをやめられなくなり過食症・肥満になったり、自分にウソをついて生き方を間違えると事故をおこして足を痛めたり、寂しいと爪を噛む、ショックで一夜にして白髪になるなど、これはもう体と心は繋がっているというよりも、身体は心、心は身体なのではないでしょうか。
その人の本当の想いが体に現れる。

頭の中より、顔から下の状態が本当の自分だと思うのですね。
「健全な精神は、健全な身体に宿る」(古代ローマの詩人デキムス・ユニウス・ユウェナリスの著作『風刺詩集』に登場する一節)という言葉がありますが、健全な生活をおくれていれば健全な体となってくるということにも繋がってくるのではないでしょうか。
自身の体験では、小さな頃から満たされない想いがある時ほど、ご飯・お菓子を食べまくっていました。
今考えると恐ろしいですが、その頃は手軽で身近にあるものでストレスを紛らわしていたんだと思います。
その反面、精神状態が落ち着いてくると、自然と食欲がなくなり暴飲暴食はしませんでした。というか、身体が欲しがらないので、出来ませんでした。
そういったことで、身体(心)は荒療治でもなんでもして、もっと本来の自分で生きることを望んでいた。
だから、その傷を治癒させるために同僚との出会い・出来事があったのだと思います。
人は常に微妙に振動しており、見えないエネルギーの波があり、互いに影響し合っています。
量子力学はよくわかりませんが、上の歯と下の歯を触れるか触れないかのところで止めていると微妙に振動していることが分かると思います。
わたしはリラックスしている時に体が震えだしたり、たまに震度2ぐらいの空間の揺れを感じる時があります。
なので、波動というものはあると感じ疑いはありません。

”同じ波動をもつ者同士が引き合う”
この同僚との関係性でわたしは無視をされて嫌な気持ちになりました。
後に聞いた話で、彼女も”いじめ”により多くの傷をもっていたことを知ったわけですが、だから、お互いが嫌な気持ちになるのは当たり前だと思ったんですね。
まだ、傷が癒えていない者同士がで出会う。
お互い、似たような嫌な気を自分のなかに持っているがために引き寄せ合い出会ってしまう。
それは、お互いの傷を癒すために起きるのです。
そして、不快に感じる出来事を通して”まだ傷が癒えていない”ことを身体が教えてくれました。
今回の場合は、わたしの「無視しないでください。」という言葉が彼女のトラウマの”引き金”を引きました。
最初はショックを受けかなり落ち込んだようです(過去に「無視してんじゃねーよ」というような言葉を言われたのかなと少し思いました)が、最終的に自分でいうのもなんなんですが「みずのこさんは優しい」と言っておったそうで、わたしとは全く関係のない過去の3人に恨み節を炸裂させていたそうです。
彼女の中で、その3人との関係性の中でまだ深い傷があるということを知るきっかけとなったということなんですね。
わたしも、「間違っていたらごめんね。」というクッション言葉をいれることの大切さや、「相手は自分のことが嫌いなんだ」という思い込みを一度疑ってみる。そして、なぜそう思ってしまうのかということを、自分に問うことが大切だなぁ。と彼女から教えてもらいました。
目の前のムカつく人は、あくまで「あなた傷あるよー。」と見せるために現れるだけのことなんですね。
そこから自分のことを深く知っていかなければ、その傷を、ずっと保有している限り永遠に同じことが起きてきます。

あなたが幸せになるためのきっかけ(荒療治)をくれている人。
最初は腹立たしく悲しくなりますが、思っているより相手は怖い存在ではありません。
この体感、いつかの不快な体感と同じ…と感じたら喜んでください。
今回のことを例に出し、どんどん掘り下げていくとこうなります。
無視されて嫌な気持ちになった(なぜ無視をされると嫌な気持ちになるの?)→過去のトラウマが蘇ってくるから(なぜトラウマが蘇ると嫌なの?)→胸が苦しくなって精神が不安になるから(なぜ精神不安になると嫌なの?)→笑えなくなるから(なぜ笑えなくなると嫌なの?)→endless…
こんな風に、【なぜなぜ】で気持ちをおっていくとあらゆる感情を知ることになのですが、今回行き着いた場所は、”自分の殻に閉じこもっていること”が嫌なんだというところでした。
では、なぜ”自分の殻に閉じこもっていること”が嫌なのかというと、世界が広がらない・自分という愛である存在がその場に留まり滞っている閉塞感・束縛感があるからなんだと感じました。
そのことにとても不自然さを感じるから、気持ち悪くもあります。
わたしは性格的に変化が好きな人で、探求心・好奇心旺盛なのですが、でも、自分がそういう性格を志望した記憶はないんですよね。
母曰く、ハイハイができるようになってから、いつもどこかに行ってたらしく「やめなさい」といわれてもやめない。嫌なものはイヤ。「ちゃんといいなさい!」と怒られれば「ちゃん。」と言う。
その上、感覚が敏感でなにをしでかすかヒヤヒヤしたそうです。
お姉ちゃんはじっと座っていることができるのに(姉は変化が嫌いな人です)、わたしはキソキソと動き回り押し入れや穴のような暗い場所を見つけては入っていたと。
暗い世界になにがあるのか知りたい。(未知の世界を見たい)
まるで、今やっていることそのものですし、長いものには巻かれたくないですし、赤ちゃんの時からなにも変わっていないようです。あはは。
ということは、きっとそういう魂(本来の自分)の気質なのでしょう。
魂がそういう気質なのであれば、なおさらどんどん余計な荷物を捨てて本来の自分に還り幸せに生きられるように「はい、次はこれ!」「はい、次はこれ!」とどんどん課題を与えられるんですね。とにかくスピードが速い。スパルタ。
あー、しんどい…もうやめて…
と頭で思ったとて、どうせちっぽけな思考より宇宙でもある魂のエネルギーの方が強いのですから諦めるしかありません。
魂が身体・心を苦しめるために試練を与えるなんてことはないですし、幸せになるための道半ばなだけですので、こういう場合は無駄な抵抗はせず、諦めた方がうまくいきます。
さっさと自分の傷を見て、治療してあげなければなりません。
これも自分への愛ですね。

さて、あなたはどんな気質ですか?
赤ちゃんの頃から、人の本質は変わらないものかと思いますので、ぜひ小さい頃のあなたに会いに行ってあげてください。
きっと、今のあなたの大先生になってくれますよ。
ということで、今回はここまでになります。
今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
またお会いしましょう☆
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