こんにちは。
みずのこです♪
今回は、部活動でのいじめが収束してからわたしが3年生になり、最後の定期演奏会(引退)の日を迎える時までのお話しをさせていただければと思います。
今日も、お時間のゆるす限りよろしければお付き合いください。
それではいってみましょう
1年生の冬頃まで、わたしの担当楽器はホルンでしたが、2年生に進級するタイミングでパーカッションのM先輩が転校するという話があり、1年生の中から一人パーカッションへ移らないといけないことになりました。
このM先輩は、それはそれはパーカッション全般の演奏がとても上手で、性格も穏やかで優しくて惚れ惚れするような先輩だったのです。
そんな唯一無二な先輩が転校してしまうということは、部にとっては死活問題…。
他にもパーカッションの部員はいましたが、その子はまだ1年生でしたし、それまでずっとM先輩が主要な楽器を担当していたので、どうしても技術的なことに「大丈夫かな?」という部の空気感があったのですね。
転校は仕方のないことですが「さぁ困ったね」というのがみんなの本音でした。
でも、誰かがやらなければどうにもならない状態だったので、
「じゃあ誰が、今のパートからパーカッションに移る?」
という話の中、最終的にわたしが選ばれたのでホルンから未知のパーカッションへ2年生に進級したタイミングで移ることになりました。
それに加えて、パーカッション初心者のわたしがまさかのパートリーダーを担当することになり、リーダーなのに「なにもわからない」という状態で、新入部員の1年生2人(初心者)と同級生の2人(初心者&経験者)の計5人で力を合わせながら、練習&練習の日々が始まりました。
ドラムなんてさわったこともない。
マリンバも苦手。
ボンゴ?コンガ?手で打つ楽器?(手で叩いて)これでいいのかな?
ティンパニー?あんなに速くバチで打てない…。
タンバリン。トライアングル。ギロ。やったことはあるから、、まぁできるかも…。
曲ごとに、扱う楽器も様々なパーカッション。
はじめは、楽器の扱い方や譜面の読み方…
なにもかもがわからない状態で、パーカッションの先輩もいないのでちゃんと教えてもらえず、頭も体も「?」だらけでした。
「ほんと、ハードル高すぎやしませんの…?」
が、当時の正直な思いでした。
今までは、オタマジャクシの仕組みを理解していればある程度は吹けたけれど、ドラムはそうではないのですね。
ドラムは譜面が複雑ですし、右手右足・左手左足を上手くつかって違う動きをしながら演奏しなければなりません。
みたこともない暗号のような記号もあります。
ですので、
A曲の譜面。…..え?
B曲の譜面。ん?
C曲の譜面。どういうこと?
自分が楽器を弾きこなせていない状態で後輩に教えないといけない立場なので、もうとにかく余計なことを考えている場合ではなく、曲の数をこなし、勉強していくしかない。
やるしかない。
そんな状態でした。
やらない選択はなかったので、ヘタクソでも恥をかいても前に進むしかなく、部活でパートの指揮をとらないとどうにもならなかったために、しばらくの間病欠以外では学校を休むことはありませんでした。
実はこれが、わたしが不登校にならず卒業の日まで学校に通った最大の理由です。
ですので、いじめられても動じず、強い心でいたから不登校にならなかった訳ではなかったということなんですね。
ただただ、自分の置かれた立場に不器用に縛られていただけで、「どんなことがあっても学校に行く。」と威風堂々と意思を貫き通したわけでもないです。
時には置かれた立場に必死すぎて、後輩の子に言い方が厳しくなってしまう時もありました。
今でも、たまに思い出して「あの時は言い過ぎたなぁ…」と思うこともあります。
「言いすぎてごめんね。」と謝り許してもらいましたが、キツイ言い方は本当に良くないなと思いますね。
未熟な先輩を受け入れ、最後までついてきてくれたことに本当に感謝ですね。
話が逸れてしまったので戻します。
そんなこんなで、2年生になってからは更に”練習、練習、練習”の日々をおくることになりました。
練習を重ねるうちに、未経験者のわたしでも少しづつ感覚を掴み、技術もあがり、だんだんと曲が形になってきました。
M先輩には到底とどかないけれど、それなりにパーカッションの演奏もできるようになり、部内での他の同級生の不仲で不穏な空気が流れたこともありましたが、個々がそれぞれの視点で学び合いながら、あっという間に3年生最後の”定期演奏会”の日を迎えることになりました。
その記念すべき定期演奏会で、初っ端まさかのミスをしてしまったわたしでしたが、その後は順調に進行し、最終的にはみなさんのたくさんのあたたかい拍手をいただき、部員のみんなにとっても思い出に残る演奏会となりました。
そして、演奏会が終わったあと、それぞれいろんな想いを胸に抱きながら、全員で音楽室に戻りました。
これで、3年生は『引退』を迎えます。
3年間お世話になった、いつもの音楽室。
生活指導兼、吹奏楽部顧問の強面のY先生に3年生は呼び集められました。
これから、みんなが輪になり、Y先生から一人一人に一言メッセージが贈られるのです。
1・2年生の時に見ていた、恒例の光景。
今年はついに、自分たちの番です。
まずは、部長。
次に、副部長。
そして、3年生部員全員へ…。
部員全員この部活を通してたくさんのことを経験し、酸いも甘いもいろんな感情を感じながらがんばってきました。
派閥が起きたり、いじめがあったり、それでもなんとかやってきた同志たち。
Y先生からメッセージを受け取る時、思わず泣いてしまう子も多くいました。
そしてそれは、わたし自身のことでもありました。
みんなへのメッセージを側で聞いているだけで、もう胸はいっぱいです(笑)
それなのに、ついにわたしの順番がきてしまい、いろんな感情が溢れだして今にも泣きだしそうな目を真っすぐ見つめながら、Y先生はわたしにこう言ってくれたのです。
それは、
「おまえが一番辛かったな。よく最後までがんばった。」
と、このたった一言の中にあるいろんな想いが先生の顔からは滲み出ていました。
この3年間、辛かったことといえば、
【いじめ】にあったこと。
【未経験者でパートリーダー】になったこと。
文字で書けば、たったこれだけのこと。
ですが、三年間ずっと息つく暇もなく駆け抜けてきていたので、Y先生からの言葉を聞いた時は、毎日必死にもがいて頑張ってきた自分の行動が初めて報われたと感じ、今までのすべての感情が大粒の涙として流れ落ちました。
さて、この「涙の正体」とは一体なんだったのでしょうか。
言葉に現すとすれば…
『ずっと張りつめていた今にも切れそうな緊張の糸がほぐれたしるし』
という表現が、いちばんしっくりくるように思います。
その言葉が「嬉しかった」という単純なものでもなく、「がんばってよかった」と思ったわけでもありません。
ただ、
ちゃんと見ていてくれたんだ。
と、そんな風に思える”存在があったこと”に安心したのです。
それに、必要な時にはちゃんと”助け舟”も出してくれていましたからね。
問題の渦中にいて余裕がない時は、そういったことにあまり気づけないものですが、後になって初めて
「ああ…。あの時、助けていただいたな。」
と、心から思える時がくるんですね。
余裕ができて視野が広がったその時に、感謝できればいいとわたしは思います。
感謝しようとしても、心がついていかない時なんてたくさんありますよね。
感謝できない時は、出来ない理由があることを優しく受け止めるだけでいいです。
感謝は自然と内から湧いてくるものだと思いますので、そのときまでゆっくり待ってあげましょう。
無理しない。
人と比べない。
優しくなれないときがあってもいい。
優しくなれるときがあってもいい。
うまくいかないときがあってもいい。
うまくいくときがあってもいい。
ようはなんでもいいんです。
いろんなことがあるけれど、いろんなことがあって当たり前の世界にわたしたちは住んでいます。
悪役がいて、ヒーローがいる。
いろんな人がいて、いろんな環境があって、一人一人が好きなように生きていますよね。
ドラマチックに生きたいか。
無気力に生きたいか。
生き方なんて、あなたが後悔さえしなければなんでもいいんですよ。
どんな人生でも、きっとそこには”起承転結”のドラマがあります。
この世界で”たった一つの物語”が生まれます。
あなたがこの世界に存在してくれている。
それだけで十分です。
今の時代で、ただ生き抜くことすら大変なのに、
「それ以上に、なにか頑張らなければならないんですか?」
と言いたいです(笑)
でもね、本音を「声」に出すこと、行動にうつすことはとても大事かと思います。
これからは、今までよりもさらに『本音』で生きていきましょう。
今の状況でできる範囲のことで大丈夫です。
ベイビーステップでOK
本音で生きたほうが、もっと楽しくなっていっぱい笑えますもんね。
なのでまた今日から、たくさん遊んで感じて、そして笑って過ごしましょう♪
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
また次回お会いしましょう♪
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