【利己的な人】の心に灯をともす。みんなが〇(マル)になり”望む環境を手に入れる方法”

実話

こんにちは♪

みずのこです。

今日は、こちらの↓

お話しの続きになります。

今回も、実体験を織り交ぜながらお話しをさせていただきますので、少し長くなるかもしれませんがお付き合いいただけましたら幸いです。

それでは、さっそくいってみましょう。

家庭のこと、身内のこと…関係が近い人との問題は、あまり人に言えるものではないですよね。それは、わたしも同じでした。

あなたは、両親・兄弟・姉妹・親戚、あるいは血は繋がっていなくても身内同然の人との関係性を難しく感じたことはありませんか?

そして、その方との間で起きたショッキングな出来事にたいして実際は辛くてたまらないのに、それをネタにして笑い話に変えながら人に話を聞いてもらうことがありますか?

または、今まであったでしょうか?

【家庭】って、本当にいろんな形がありますよね。

わたしの中で”家族・家庭”とは、

生誕時、結婚時などのタイミングにある独特の小さな社会

生物学的になにかしらの目的(生命維持・魂の学びなど)があり依存関係となるグループ

良くも悪くも深い愛を学ぶために集まったメンバー・環境

だと感じています。

よくお母さん方が「うちはうち、よそはよそ」と言われるように、なにかのご縁で人と人が結ばれ、そして自分にとっての独自の「正しさ」をそれぞれ持ち寄り、互いの意見を擦り合わせながら共に「家庭生活」を営んでいますね。

幼いころは、生まれてからずっと見ている「その世界がふつう」なのだと、それがある意味”正解”なのだと示されているような気がしてしまうものかと思います。

その世界に住んでいると、【ぼく・わたし】という個の存在が、その独特の小さな環境の影響をずっと浴び続けることになるので、人によっては感覚の麻痺が起こり違和感を感じることすらなくなってきます。

相手から受けたものに”あたたかさ・安心は感じられない”けど、自分の頭で辛い現実を正当化することにより、それが「愛」なのだと錯覚を起こすこともあるでしょう。

そして人は、とてもカンタンに人や環境に影響されてしまいますので、自分の考えだと思っていたものでも、実は他人の思考が自分にうつっているだけだったりというケースもあります。

それ以前には、生まれた瞬間から、自分の体の中にはご先祖さまの血も流れているため遺伝子(DNA)の影響も強くありますので、個として生まれてきた【自分】という者が、一体”どこからどこまでの存在なのか”がわからなくなってくることもありますよね。

自分と家族(他者)の境界線が、あるようでない。

ないようである。

そんな感覚を、”家族・家庭”には特に色濃く感じるかもしれません。

ですので、家族・身内だと感じている関係においては”距離感”や”お付き合いのしかた”を、特に難しく思える場合もあるでしょう。

場合によっては、相手に自分の意見を言うと暴力で返されるということもあります。

言葉、行動でDVを何度も受けている方は、最初はショックを感じるものの、ある時から「自分が悪いのかもしれない。おかしいのかもしれない。」という思考になり、どこかで自分を責めたり、その現状を「いつものこと」として受け入れたりしてしまうという話を聞いたことがあります。

それは、実はわたしが身をもって経験したことでもあるのですが、今振り返ると我慢を通り越して自虐していたと気づき、とても恐ろしいことだと思いました。

わたしはこの12年間、遠方に住んでいる母に時々電話をかけて、夫や義理両親に言われたこと、されたことをネタっぽくして話を聞いてもらっていました。

あまり深刻に話すと、心配性の母が夜眠れなくなると思ったからです。

当時母は自営業を営んでおり多忙でしたので、電話をかけたとしても3回に1回繋がればよい方でした。

電話が繋がったとしても、話の途中でお客さんがみえて電話を切ったことも多々ありました。

タイミングよく話を聞いてもらえた時は、共感してもらえたり笑えたりと一瞬は気持ちが軽くなることもあったのですが、電話を切ったあとはまた現実世界に引き戻されます。

どっちみち、この嫁ぎ先での問題はわたしの【人生(心)の課題】であるということはわかっていました。

この利己的な人たち相手に3対1(夫&義理両親対わたし)の関係でどう向き合っていけばよいのか、うつ病の体で幼い娘を抱えながら離婚もできない、今はこの環境の中でいた方がまだ娘の命を守れる、実家にも帰れない、逃げ場がない。

お味噌汁をつくるにも、休み休み座りながら出来上がるまでに30分もかかってしまうほどの体力しかなかったので、その時は現状維持で生きていくしかありませんでした。

でも、その中でわたしにもできることがあったんですね。

それはシンプルに、自分を守ること(相手を守る)ことでした。

当時のわたしは、幼い娘たちを守るために今自分がなにを捨てるべきか、笑顔でいるためにはどう在ればよいか、あるだけの少しの気力と少しの体力をふり絞りながら、自分の心と体を守ることに出来る限り意識を向けていたわけですが、その時の心境はこうでした。

「嫌われたってかまわない。裏で何を言われようが知ったこっちゃない。真実はわたしが一番よく知っている。自分が今までやってきたことを、わたしは一番近くで見てきた。どんな想いがあったかも知っている。そこには1点の曇りもない。自分を信じる。きっと、みんなが〇(マル)になる方法があるはずだ。このままだと、義理両親はまたわたしを傷つけることにより自分も傷つくだろう。その為には、わたしから距離をとるのが一番いい。そして、(義理両親に)会わない理由を夫から義理両親に伝えてもらおう。セリフも全部わたしが決める。それはきっとお互いにとって必要な時間になる。」と、恨みながらも愛を選ぼうと必死でもがきながら、心がOKをだした答えがその選択しかなかったので、その心に従いました。

いじめを受けていた学生時代のあの日のように、腹を括ったのです。

そして、その選択は結果的に大正解でした。

捨て身の決断をした後、思ってもいなかったたくさんの奇跡が起き、望む方向へ自然と流れていったんですね。

そのほんの一例をお話しさせていただくと、、

今までの人生一度も反省したことはないと言っていた夫は、生まれて初めて自分のした不誠実さに反省し、夫に伝言してもらったわたしの想いに対し義理両親は二人で葬式の時のような表情になり、普段反省なんてしない義父も「あれは言い過ぎた」と言い、義母は泣きながら「悪かったね」と言っていたそうです。

あの決断をしてから10年ほど経った現在、義母は相変わらずマウントをとりたがるし嫌味も言ってきますが、クッパだと思っていた3人はまるでクリボーのようです。

ちなみに昨年、新年一発目の微妙な嫌味は

「この人は、愛想はないけどウソはつかない。」

でした。これは誉め言葉でしょうか(笑)

でもとりあえず、「愛想は良いけどウソはつく」の方がなんとなく嬉しくないですし、パート先でもネタにしてみんなに笑ってもらったのでよしとしましょう(笑)

今は、3人共が以前のような酷い言動をとることはなくなりましたし、わたしの意見に耳をかたむけ、信頼してくれている様子も伺えます。

それに、、、今までずっとそばで見ていれてくれた娘たちが見方でいてくれるので、とても心の支えになっています。

だからこそ、娘たちにこう言います。

「じいちゃんにも、ばあちゃんにも笑顔でいてあげな。(自分を愛する力が)強い人が(自分を愛する力が)弱い人に攻撃するのはよくないことだからね。気持ちが形になった物は、ありがとうって受け取ってあげればそれだけで喜ぶから。でももし、いただき物の中であなたに必要じゃなければ、そっと捨てていいからね。」

と。

そんなこんながあったことで、自分を幸せにしてあげたい気持ちが自然な流れで強くなり、今は本当に自分の人生を楽しむために時間をつかいたいので、「自分さえ良ければそれでいい」と思っている人と過ごす時間が、すごくもったいないって思えてしまうんですね。

人も動物たちもみんな”心地よさ”が好きですよね。

なので、たくさん心地のいい”時”を感じていましょう。

味わいましょう。

わたしたちは、まるで振り子のようにいつも【過去や未来】を行ったり来たりしています。

現代人はいつも忙しく動き回り、あまり”今”を感じて生きてはいないかもしれませんね。

もしも、あなたが望まない”過去・未来”を創りたくないとすれば、ご自身の大切な時間・体・心をあなたを尊重しない誰かさんに”今”明け渡していないかどうかチェックしてみてくださいね

「まぁ、これぐらなら大丈夫。いつものことだし。」

この感覚にさえも、注意をむけてみてくださいね。

何年、何十年の暮らしの中で、わたしのように感覚が麻痺してしまっている可能性も0ではありませんので、一瞬でもモヤッとしたのなら心に聴いてみるといいかもしれません。

心がずっとモヤモヤするのであれば、離れてもいいよ。ってこと。

”ありのままのあなた”の心を大切にしてあげてくださいね。

今よりも安心できる場所を選びましょう。

大丈夫。大丈夫。大丈夫。

すこしの勇気で、あなたの見ている世界はガラッと変化しますよ。

どこまで逃げてもいいですが、幸せに生きることだけはどうか諦めないでくださいね。

ということで、今回は「自分さえ良ければそれでいい」という考え方は、最終的に自分も人も幸せにしないので、そういった人からはお互いの幸せのために離れてもいいんだよ。

というお話でした。

☆おまけ☆(『自分を愛することによって起きる奇跡のような体験』をお話しさせてもらいます。)

私事ではありますが、みずのこは2024年3月をもって円満離婚をします。

長年、関係性がボロボロだった高齢の父には「なにも心配しなくていい。体一つで帰ってきなさい。」と、余生の楽しみができたと喜んでもらい、「みんなで仲良く暮らせばいい」とブドウの木を植え育て、来年の春を楽しみにしている様子です。

母からは、結婚当初から「帰ってきたら?」と言ってくれていた分、そばにいてくれたら安心だと言われわたしたちのために現在実家をリフォームしてくれている状況です。(しかも数か月前にタイミングよく仕事を辞めたので、離婚後生活のフォローをしてくれるようです。)

さらに義理両親からは、わたしがいなくなることが辛いと泣かれ「息子を甘やかし過ぎた。悪かった。あの子によく今まで我慢できたね。あんたはいつまでもわたしたちの「娘」なんだから、お金に困ったらいつでも言ってきなさい。」と言われ、夫からは「あなたの幸せのために離婚する。」と言われました。

そもそも結婚当初から「結婚に向いていない」と本人が言っていましたし、わたしも本当にその通りだと思うので、それならそれで無理に家庭に入らないほうがみんなのためによいのです。夫もお疲れさまでした。

そしてこどもたちに関しては、むしろ「離婚してほしい」と自分の腹に落とした言葉をわたしに投げかけてくれたんですよね。

来年春に上の娘は小学校を卒業をしますが、今一番気持ち的に安定している様子で、新生活を楽しみにのびのび過ごせるようになったようです。

自分の中で、子どもたちが納得していない段階で離婚することは〇ではなかったので、この12年間ずっとタイミングをうかがいながら、離婚して子供たちを養っていけるように働ける体作りや心の準備をしていました。

そして、やっと一日8時間働けるようになり(パート3つ掛け持ち&すべての職場の人間関係良好)「もう大丈夫」と自信がもてたタイミングに、

「ママ、幸せになるための離婚だよ!これからみんなで幸せに暮らそうね。」

と子どもたちから言ってくれたことで、離婚にむけて「今だよ。」と言わんばかりに背中をドンっと押してもらうことができました。

そしてもう一つ、経済的なお話しさせていただきますと、自宅の売買契約も先日無事に終わり住宅ローンの残高は0円になり、むしろプラスが出たことで、これからの新生活に必要な分のお金が用意されたんですね。

このように、すべてに邪魔が入らず、ベストなタイミングで物事がスムーズにうごいている状況を見ながら、今わたしは「自分を愛する」という課題を「やっと…クリアできたんだな」と実感しています。

「ちゃんと自分を愛せるようになったね。」という宇宙からのOKサインが、このように今ちゃんと現実世界に映し出されているんですね。

今後は、ほどよい距離をとりながら夫・義理両親とは無理のない関係を続けていきます。

そして、子どもたちと父、じいちゃんばあちゃんとの関係が、今までよりも心地よくなるように母としてサポートしていきます。

今回の離婚は、両家の親、私たち家族もみなが納得し〇(マル)となりました。

結婚も離婚も、見方を変えればただの経験。

時代はどんどん変化していっています。

こんな時代だからこそ、どうか”あなたさまにとっての幸せな時間”をお過ごしくださいね。

気候も急に寒くなってまいりましたので、あたたかい場所でゆっくりとおくつろぎください♪

それではまた、次回の記事でお会いしましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました♪



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