こんにちは♪
みずのこです。
今回は、
ありのままの姿で生きられず生き辛さを感じている方
どこにいっても人間関係がうまくいかないと感じている方
学校・会社などで嫌がらせ(いじめ)を受けている方
など、なにかしらの「解決の糸口を探されている方」にむけてメッセージをお送りできればと思っております。
今までとはすこし毛色が違い、繊細なお話になるかと思いますので読みづらくなった場合はすぐに離れていただき、無理に読むことをお控えいただければと思います。
今回のテーマにつきましては、本題に入る前にわたし自身のことを時系列で簡単にお話しさせていただくことで後々のお話がわかりやすいと思いましたので、今までの”いじめ”の内容をある程度書かせていただくことにしました。書くべきかどうか正直迷いましたが、あえて書くことで【幸せに生きていくことは十分可能である】ということを、自身の姿でもってお届けできればと思っておりますので、お読み苦しい部分もあるかとは思いますがご理解いただけましたら幸いです。
それでは、今日もお時間のゆるすかぎりよろしければお付き合いください。
それでいってみましょう。
まずは、幼少期から結婚前までの人生背景をお話しさせていだきますね。
わたしは、物心ついた時から人との関わり方がわからず、人の輪の中に入ろうとしない子供でした。
いつも、この世界に違和感や重苦しさを感じ、「楽しい」という感覚がわからず不器用な生き方しかできない子でした。
ずっと、周囲に馴染めず「愛されない人間」なんだと信じて生きてきました。
心の居場所がどこにもなく、「生まれてこなければ良かった」と思いながら生きていました。
わたしは、ほとんどの人にとっては目ざわりな存在で、不幸でいることが【自分の運命】なんだと思っていました。
そして小学生の頃には、「女性」の体で生きていることへの”罪悪感”が、心と子宮の奥深くに埋めこまれているかのような感覚が強くありました。
いじめを受けている間、父からは「考えすぎ。弱い。お前が悪い。」と非難され、母もちゃんと向き合ってはくれず安心できる居場所なんてどこにもありませんでした。
来る日も来る日も、苦しくて心細くていつも”孤独”でした。
なので当然、生きている意味も分からず
早く死にたい。
早く消えたい。
「わたしが生きているとみんなに迷惑をかけてしまう」と思っていました。
親に対しては、
「本当に『大人』なの?言ってることとやってることが全然違うやん。わたしは奴隷じゃない。自分の考えばかり頭ごなしに押し付けてこないで。どうせ”いらない子”なんでしょ?子供を大事にできないくせになんで産んだの?子供を愛せない人が産む権利なんかないでしょ。こんなに辛い人生なんだったら、産んでほしくなかった。生まれたくなかった。」
と。
そんな思いがあったため、それが「反抗的な思い」となり、親から何かを言われるたびにすぐに腹を立てよく不機嫌になっていました。
すると、また頭ごなしに怒られるんですよね。
さらに、出来の良い姉と比べられては落とされるという”おまけ”つきでした。
小学生高学年の時に、おじいちゃんに買ってもらった学習机の下に潜り、カッターの刃先を手首にそっと当ててみました。
そして、ほんの少しの力を入れてスッと引くと血が滲んできました。
その血を見つめながら、
「痛い…死ねない…」
と感じました。
中学、高校の年頃には、
”茨のツルを全身に巻き付けてしまえば、血が滲んだ醜いわたしの姿をみんな気味悪がって誰も近寄らなくなるかな。それに、わたしもいつか棘の痛みに慣れるのかな”
と、茨にキツく巻き付けられた自分の姿を思い浮かべたこともありました。
そして、その頃から
「こんなにもいじめられるのは、絶対わたしに原因があるからだ。わたしが悪いんだ。」
と、いつもどこかで自分を責めるようになってしまいました。
中学1年の時は、同級生・部活の先輩・知らない先輩、担任の先生と、一斉にいじめられたこともありました。
無視をされ、悪口を言われ、靴を切られ、自転車をパンクさせられ、奴隷のように扱われ、笑いものにされ、性的な嫌がらせを受けました。
でも、事情があり学校には通い続けました。
そんな「学校」という場所は、わたしにとっては牢獄でした。
毎日、学校になんて行きたくなかった。
勉強なんかしている場合ではなかった。
そんなことより、自分の命を守ることで日々精いっぱいだったからです。
そして、中学卒業後。
高校受験になんとか合格し普通高校に進学しましたが、2年生の4月に退学することになりました。
1年生の時、学校の正門から一人早退をするわたしの姿を見つけた男子たちは、教室のベランダから「ブサイクー!!」「帰れー!!」と笑っていました。
部活(吹奏楽)では、外部の有名な先生に合奏中「死ね。」と言われました。
わたしが上手く人と関われず、上手に演奏できなかったからです。
下校中、電車を降りれば他校の知らない生徒にツバを吐かれました。
本当は、中学1年生の時点で、すでに心の限界は超えていました。
だからもう…これ以上は頑張れませんでした。
子供の心なんて見ようともしない両親はもちろん退学に【大反対】でしたが、説得を続け通信高校へ「編入学」という形をとることで納得してもらいました。
わたしは、”これ”と決めたことにたいしては退かない性格なので、親も「これ以上言っても無駄だ。」と、折れるしかなかったのでしょう。
編入後は、いじめの後遺症による心身の不調で途中学校に通えなくなった時期もありましたが、なんとかアルバイトをしながら10年かけて卒業しました。
その間、同い年の子たちがどんどん社会に出て活躍している様子を見聞きするたびに「すごいなぁ。完全に置いていかれてるわ。」と、どうすることもできない日々をただ生き、ようやくわたしは27歳の春に高校を卒業しました。
高校編入学後に、集団生活(学校)から「やっと…解放された。」と一時は安心しましたが、人と場所をかえながら大人社会に出てからもまた”いじめ”を受けることになりました。
初アルバイトをした16才から25歳頃まで”それ”はしばらく続きました。
今度はバイクのタイヤをパンクされ、財布を盗まれ、”病名のあだ名”で陰口を言われ、目の前でも悪口を言われ、大勢の前で笑い者にされ、声を失うまでパワハラを受けたりと、大人の世界にも”いじめ”は当たり前に存在していて、さらに学生時代よりも”たちが悪い”場合もありました。
そんな現実に、いろんな意味でショックを受け「いったいいつまで続くんだろう…」と自分の人生・社会に深く絶望していたことを今でも覚えています。
その間、一人暮らしをしていた時期が長くありましたが、心身の不調で働けなくなり家賃を滞納し、ガスや電気が止まってしまうことも何度もありました。
高校を卒業していないことで職業の選択肢も狭かったので、やりたくない仕事を選んだこともありました。
不安定な自分が選んだ道です。
さらに安心・安定とは無縁の世界で生きていかなければいけない状況に、魂は抜け、”不健康な肉体だけがただある”という状態で何年も過ごしていました。
でも、、それでも
いつもどこかで、小さな光(希望)を探し求めている自分の姿があることにも気づいていました。
幸い、こんな何のとりえもないわたしでも”明るさ・正直さ・探求心・好奇心・行動力”だけは生まれながらに備わっていましたので、17歳頃からは藁にもすがる思いで「自己啓発」「哲学」「道教」「スピリチュアル」などの精神世界の分野の本を読みあさり、そしてその本の内容が”真実”なのかどうかを自分を実験台に、日常生活の中で”人体実験”を20年以上続けてきました。
そして、その行動こそが、”幸せな人生を歩むための糸口”になったのです。
本を読み始めた最初の動機は、
「愛されたかったから」
”ただそれだけ”でしたが、わたしにとっては切実な願いであり祈りでした。
今となってみれば、この純粋な気持ち(動機)にたいして自分が行動を起こしたおかげで、自分を守り幸せな世界を創造することができましたので、”願いは自分で叶えていくもの”なのだと今実感しています。
そのためには、
まずは自分が幸せでいること。
どんな辛い状況にある人でも、ほんとうは幸せなのです。
本当は、辛い状況こそが、自分に嫌がらせをしてきた人こそが自分を育ててくれていたんです。
自分の底力を発揮するためには、どん底に突き落とさなければなりません。
そこから、どう這い上がってくるか。
それが、人生です。
そこに、自分の生き様が生まれます。
だからみんな、幸せなんです。
すべてが愛なんです。
感謝さえできれば、この瞬間”幸せ”です。
もしも、今あなたがお辛い環境にいたとしても”だいじょうぶ”です。
これから先は、幸せになれます。
ほんとうに、だいじょうぶです。
どんなに辛いことがあったとしても、あなたはちゃんと守られています。
だから、信じてください。
なにがあっても、どんなに苦しくても
胸張って、顔晴ってください!!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
それでは、また次回お会いしましょう♪
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